BLANCPAIN HISTORY PART.2

貴人館

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BLANCPAIN HISTORY PART.2

BLANCPAIN | ブランパン

2017/11/23 BLANCPAIN HISTORY PART.2

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1953年、大成功を収めたコレクションの一つ≪FIFTY FATHOMS(フィフティ・ファゾムス)フランス海軍潜水部隊の要望により製作。

 

1950年代終わりには年間生産本数100,000本を達成。

 

増大する需要に対応する為に、「SSIH(スイス時計産業組合)の傘下に入り、【OMEGA(オメガ)】等のブランドの列に加わる。

 

1971年、年間生産本数が220,000本を超えるまでに成長。

 

1970年代、スイス時計産業は幾つかの大きな問題に直面します。

 

クオーツ時計が発表され、時計製造業に大きな変革をもたらします。

 

対スイスフランでドルが下落、アメリカへの輸出量を減少させました。

 

1973年、第一次オイルショックが世界不況を引き起こします。

 

SSIHはそれらの影響で生産本数を半減せねばならず、その一部を譲渡します。

 

1983年(昭和58年)1月9日(日)、「SSIH」はMr.Frédéric Piguet(フレデリック・ピゲ)の息子であり一族の名を冠した企業の社長でありますMr.Jacques Piguet(ジャック・ピゲ)と、その当時SSIHの従業員であったMr.Jean-Claude Biver(ジャン-クロード・ビバー)に工房を売却します。

 

売却額は当時のレートで僅か200万フラン程だったと言われています。

 

新しい工房はスイス:ジュラ山脈にあるジュウ渓谷のル・ブラシュに製造拠点を持ちます。

 

以後、正式に【BLANCPAIN】の名が採用されました。

 

1984年、当時では世界最小の機械式動力部を開発。

 

1989年、世界最薄の動力部を開発。

 

1992年、6,000万フランで「SWATCH GROUP(スウォッチ・グループ)に買収される。

 

2006年~2014年までの9年の間に32もの新しい自社製ムーブメントを発表。

 

※BLANCPAIN COLLECTION・・・https://kijinkan.co.jp/blancpain/

 

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