ABOUT GIRARD-PERREGAUX ①

貴人館

06-6636-6630

〒542-0073 大阪市中央区日本橋2丁目7番10号
日本橋エクシーリスビル1F/2F

営業時間:11:00~19:00 定休日:火曜

lv

ABOUT GIRARD-PERREGAUX ①

2018/03/05 ABOUT GIRARD-PERREGAUX ①

gp-head-office現存し、一度も休眠や倒産した事がなく、継続生産し続けている時計ブランドでは世界で2番目に長い歴史を誇るジラール・ぺルゴ【GIRARD-PERREGAUX】。

 

全てのムーブメントを自社開発・製造している、スイスを代表する、スイスでも数少ない本格MANUFACTURE(マニュファクチャー)です。

 

年間生産本数は約12,000本しかなく、細部の仕上げは熟練した職人達の手作業によるところが多く、クオリティーに最重点を置いています。

 

しかし、これらの事は残念ながらあまり知られてはいません。

 

ちなみに、コンペティター(競争相手)ブランドのユリス・ナルダン【ULYSSE NARDI】が約25,000本、ブランパン【BLANCPAIN】が約30,000本、【VACHERON CONSTANTIN(ヴァシュロン・コンスタンタン)】が約30,000本、【BREGUET(ブレゲ)】が約25,000本、【JAEGER-LECOULTRE(ジャガー・ルクルト)】が約70,000本・【PATEK PHILIPPE(パテック・フィリップ)】が約45,000本、【AUDEMARS PIGUET(オーデマ・ピゲ)】が約45,000本と言われています(推定の年間生産本数)。

 

そこで、少しでも【GIRARD-PERREGAUX】をご理解頂きたいと思い、簡単に歴史を絡めながらお話しさせて頂きます。

 

【GIRARD-PERREGAUX】は、スイス:La Chaux-de-Fonds(ラ・ショー=ド=フォン)に本社と工房を構えています。

 

この街は、2009年にユネスコの世界遺産に登録され、唯一、時計製造の街として認定されています。

 

従業員は約300名(男:女=5:5)で30代半ば~後半の年齢層が多いそうです。

 

1791年、スイス:Geneva(ジュネーブ)出身のMr.Jean-Francois Bautte(ジャン=フランソワ・ボット)により創業。イギリスのビクトリア女王等を顧客として持つ。

 

1793年、Bautte(ボット)社を設立。

 

1852年、ラ・ショー=ド=フォン出身のMr.Constant Girard(コンスタン・ジラール)が「ジラール社」を設立。

 

1854年、コンスタン・ジラールがスイス:Le Locle(ル・ロックル)出身のMiss.Marei Perregaux(マリー・ぺルゴ)と結婚。

 

※マリー・ぺルゴの3人の弟達は、販路拡大の為、日本をはじめ南北アメリカへと赴く

 

1856年、両家の名字を取り【GIRARD-PERREGAUX】が社名となる。

 

1860年、マリー・ぺルゴの弟:Mr.Francois Perregaux(フランソワ・ぺルゴ)が横浜に渡来。日本初のスイス時計商館開く。

 

※時は幕末、日本に輸入された初めてのスイス時計が【GIRARD-PERREGAUX】となる

 

1865年、F.PERREGAUX社を設立(日本)。

 

1867年、[THREE GOLD BRIDGE TOURBILLON(スリー・ゴールド・ブリッジ・トゥールビヨン)]をパリ万博で発表。

 

1877年、フランソワ・ぺルゴ没。今でも横浜外国人墓地に眠る(日本)。

 

1884年、第2回パリ万博で金賞を受賞。

 

※THE KIJINKAN FAIR・・・https://kijinkan.co.jp/blog/5790/

 

※GIRARD-PERREGAUX COLLECTION・・・https://kijinkan.co.jp/girard-perregaux/

 

※お問合せ・ご注文は ・・・ https://kijinkan.co.jp/contact/

 

TOP