BLANCPAIN HISTORY PART.2 06-6636-6630 〒542-0073 大阪市中央区日本橋2丁目7番10号日本橋エクシーリスビル1F/2F 営業時間:11:00~19:00 定休日:火曜
1953年、大成功を収めたコレクションの一つ≪FIFTY FATHOMS(フィフティ・ファゾムス)≫をフランス海軍潜水部隊の要望により製作。
1950年代終わりには年間生産本数100,000本を達成。
増大する需要に対応する為に、「SSIH(スイス時計産業組合)」の傘下に入り、【OMEGA(オメガ)】等のブランドの列に加わる。
1971年、年間生産本数が220,000本を超えるまでに成長。
1970年代、スイス時計産業は幾つかの大きな問題に直面します。
クオーツ時計が発表され、時計製造業に大きな変革をもたらします。
対スイスフランでドルが下落、アメリカへの輸出量を減少させました。
1973年、第一次オイルショックが世界不況を引き起こします。
SSIHはそれらの影響で生産本数を半減せねばならず、その一部を譲渡します。
1983年(昭和58年)1月9日(日)、「SSIH」はMr.Frédéric Piguet(フレデリック・ピゲ)の息子であり一族の名を冠した企業の社長でありますMr.Jacques Piguet(ジャック・ピゲ)と、その当時SSIHの従業員であったMr.Jean-Claude Biver(ジャン-クロード・ビバー)に工房を売却します。
売却額は当時のレートで僅か200万フラン程だったと言われています。
新しい工房はスイス:ジュラ山脈にあるジュウ渓谷のル・ブラシュに製造拠点を持ちます。
以後、正式に【BLANCPAIN】の名が採用されました。
1984年、当時では世界最小の機械式動力部を開発。
1989年、世界最薄の動力部を開発。
1992年、6,000万フランで「SWATCH GROUP(スウォッチ・グループ)」に買収される。
2006年~2014年までの9年の間に32もの新しい自社製ムーブメントを発表。
※BLANCPAIN COLLECTION・・・https://kijinkan.co.jp/blancpain/